10「家族のつきあい」の作法

「我が家のルール」はあるか

「食事のときには揃って『いただきます』を言う」「帰宅時間は伝えておく」などといった「我が家のルール」はありますか。我が家では、「朝、顔を合わせたら『おはよう』と言う」は、子どもの躾もあって「それが『作法』だ」と口に出して了解しあっています。一方、「相手の個室に入るときはノックする」は、暗黙の了解になっています。それぞれのご家庭で、どんな「家族の作法」がありますか。どうやって家族のあいだで共有するようになりましたか。

 コメント

名前を呼ばれたら返事をする」
「ありがとう、ごめんなさいの気持ちをきちんと言葉で伝える」
を『作法』として定着させようと、毎日念仏のように唱えています。
これが案外難しい。
『ありがとう』も『ごめんなさい』も中々素直にすんなり言葉として出てこないんです。
むしろ大人が。
編集Nさんも『ありがとう』について「挨拶」の作法でコメントされてましたが、
『ありがとう』『ごめんなさい』が素直に言える家族でいたいなあと。

投稿者 mokuren : 2005年04月21日 21:52

我が家でもまさに「呼ばれたら『はい』と返事をする」「『ありがとう』『ごめんなさい』『おはよう』をきちんと言う」を念仏のように唱えていた時期がありました。
子どもが自然に言うようになってきた昨今、あーら不思議、親の私たちも以前よりもずーっと自然に、ずーっとたくさんこれらの言葉を言うようになっています。
夫などはもともと挨拶にうるさい人だったのに、子どもに言うことで意識化されて、さらに身についたのだと思います。

mokurenさんは、夫婦のあいだで「子どもはこう躾けるものだよね?」と確認しあったりしたのかしら。阿吽の呼吸で?

投稿者 辰巳渚 : 2005年04月22日 06:43

「あいさつ」「食事のマナー」あたりは、親に言われたことがいろいろあるが、家族の作法というより、基本的な躾にすぎない気もする。
でも、「どの家でも必ずしていること」ではないとしたら、それは「家族の作法」といえるのかな。
たとえば「いただきます、ごちそうさま、は必ず言う」「立って食べない」「食事のときは正座。横座りやあぐらはダメ」(←座卓だったので)「下着や寝巻きで食事はしない」。
ちなみに、いずれも「女の子はお行儀よく」ではなく、男女共通の躾/作法として。

投稿者 編集N : 2005年04月22日 15:36

補足です。(すみません、はしょりました。)
「返事」「食事のマナー」「ありがとう」「ごめんなさい」は確かに基本的な躾ですよね。人としての。我が家でも、子どもが幼稚園までは当たり前だったんです。
ところが、小学校に入って何だか怪しい感じに。我が家に遊びに来る子どもの中にも、挨拶のできない子や気に入らないとすぐにキレて手足が出る子がいたりして。そこで、改めて『ありがとう』『ごめんなさい』という気持ちを『言葉』で伝えることを「家族のルール」として据えた次第です。(そして、私も夫も、「今さら~」という感じで、お互いに「ありがとう」「ごめんなさい」が素直に口から中々出てきません。夫婦の努力目標でもあるわけですね。)

因みに、「家族」の基本路線については、夫とよく議論します。譲れないことかは何かと。
その基本路線を踏まえた上で、子どもが小学校に入ってからは、事あるごとに家族会議を開いて話し合ったりするようになりました。

投稿者 mokuren : 2005年04月22日 21:33

基本的な躾は、むしろ大人ができていない場合が多くて子供の躾の時に気づかされることも多い。
例えば、「あいさつ」。ちょっと前に流行った『フロ、メシ、ネル』しか言わない夫とその妻は夫婦間では挨拶をしなくても子供には「挨拶」を躾けていたのではないかな。我が夫は子供に「ちゃんと座って食べなさい。」と言いながら立ってつまみ食いをしている。(本人は指摘されるまで気づかない。)
基本的な躾けに過ぎないことも、家族全員が意識して必ず行うようにしていることが「家族のルール」と考えていいのであれば、我が家では例えけんかして口聞きたくなくても「挨拶」と「ありがとう」は徹底している。かなりけんか腰の口調にはなるが。たしか、新婚の時にそう決めたような気がする。
ところで「家族の作法」と「家族のルール」は同じ意味で考えるのかな。なんかニュアンスが違う気がしてしまうのだけど。だから、我が家の挨拶は「ルール」であって「作法」にするためには挨拶の仕方(相手の目を見て挨拶する。~ございます、と言うなど)まで決めなきゃいけない気がするのは考えすぎだろうか。

投稿者 hazuki : 2005年04月22日 23:58

「家族の作法」と「家族のルール」、むずかしいですね。でも相手のことを思いやって決めているルールなら、広い意味(新しい意味?)での「作法」と言ってもいいのでは? いかがでしょう。

我が家で「作法」と言ってもいいと思うものは、「心を込めて『ありがとう』『ごめんなさい』を言う」というのです。これはなぜだか息子が言い出したように思います。しぶしぶと、嫌々ながらに「ごめんね」「ありがとう」と言っていると、「もっと心を込めて!」と言われてしまいまして……(苦笑)けっこう押しつけがましいので、他人が聞いたらびっくりするのでしょうがね。
そんな息子でも「おはよう」「ありがとう」「ごめんね」「行ってきます」「いただきます」など、促されずにスラスラと出てくるようになるにはまだまだです。念仏のように唱える日々が続いてます。

投稿者 mogura : 2005年04月23日 23:49

moguraさんの意見に、全面的に大賛成。とくに「もっと心を込めて!」は躾というよりは作法(意識化すべきルール)という観が……。息子さん、エライ! 
私は、夫が「豆かん、買ってきたよ。好きだろ」とか言ってたくさんのお菓子をお土産に買ってきてくれたとき、つい「全部食べたら太ってしまう」と思い「あ、ありがとう(しぶしぶ)」となる。反省。

投稿者 辰巳渚 : 2005年04月29日 00:17

このところ考えつづけてきて、「心を込めて挨拶する」ってつくづく重要なことだと思いました。いま、中国で日本が非難されているけれども、これも根は同じかも。つまり、「何度も謝っているじゃないか。どれだけ謝ればいいんだ」と日本人としてはいらいらするけど、心を込めて謝ったかどうか、ということが問題の根にある気がする。

たとえば、我が家のホームパーティに来てくれた人が、「手伝うわ」といってお茶碗を洗ってくれたとする。つい手が滑って、お茶碗を割ってしまった。わざとではない(故意ではない)し、発端は好意であるのだから、責めるのはよくないと思う。でも、「あら、割れちゃった、悪いわね」とあっさり済ませられたら、ひっかかりませんか。

故意の有無、悪意の有無、必然性を問わず、目の前に割れた茶碗があるならば、「茶碗を割った」という事実は認めるべき。まず「割った」という事実について心を込めて謝って、そのうえで必要なら説明したり弁償を申し出たりする。その順番がいいのではないでしょうか。

私たちって、アメリカ流だかなんだか知らないけど、「簡単に『すみません』と謝っては、言質を取られる」といった「常識」に慣らされているのかしら。そういう問題ではなく、単に「事実を認める」という心の作業はむずかしい、ということなのかしら。

話が逸れすぎかしら。

投稿者 辰巳渚 : 2005年05月02日 13:11

我が家にはもう一つ「家族の作法」があります。それは、夫が仕事に行く時は必ず母と子そろって玄関先までお見送りすること。たとえ食事の途中でも中断してお見送りします。「食事中は立ち歩かない」よりも優先します。他の家庭ではどうなのか聞いたことがないので我が家独自のものなのか当たり前なのかわかりませんが、、ちなみに決して亭主関白ではないです。働きに出かける者に敬意を払う儀式のようなものでしょう。

投稿者 hazuki : 2005年05月03日 21:18

わが家では実家も含めて、家族の誰が出かけるときでもその時にいた人が玄関まで見送ります。たとえ遊びに行くときでも。
夫の家族はそういう習慣がなかったので、結婚したての頃、夫はとまどっていました。ですからどこの家でもそうだとは言えないと思います。夫はいい習慣だと言って、結婚後は実践していましたが。
家族の関係は私の実家のほうがはるかにいいので、日常のこういった習慣はかなり影響力があるのでは。(笑)
関係がいいので見送ろうと思えるのかもしれませんね。
余談ですが、出ていってすぐに鍵が締まる音を聞かせるのはよくないので、出ていった人が少し遠ざかってから鍵を締めるように教わりました。で、2呼吸くらいですが待ちます。

投稿者 編集A : 2005年05月06日 09:22

少し話が入り乱れてきたので、整理しましょう。
「我が家のルールはあるか」はいったん締め切ります。

挨拶についてはいずれ「挨拶の作法」で取り上げましょう。また、「家族のルール」全体についての話も、またいずれ取り上げます。「家族のつきあいの作法」に新しくテーマを立てて、家族が家を出入りするときのルールを考えます。

投稿者 辰巳渚 : 2005年05月06日 12:04