08「挨拶」の作法

使ってみたい挨拶の言葉

もうちょっと若いころ、私は「お世話さま」と「ごめんくださいませ」という挨拶を使ってみたいけれども、気恥ずかしくて使えなかったものでした。思い切って口に出しているうちに、意識しなくても口から出てくるようになって「私も大人になったな」と感慨深い思いがしました。いまは「ご精が出ますね」という挨拶を使ってみたい。あなたには、そんな挨拶の言葉が思い当たりますか。

 コメント

もう少しスマートに言えるようになりたいなあと、常々思っているのがお悔やみの挨拶です。近所のおばあさんが亡くなって、ご挨拶をする時でも「この度はどうも…」。ものすごくがんばって、「お悔やみ申し上げます」が精一杯。「ご愁傷さまです」は、どうも私が言うと薄っぺらに聞こえるような気がして。手紙に書くことはできても、口からはでてきません。

投稿者 mokuren : 2005年04月08日 20:54

20歳前半の頃、素敵なおばあさま同士の会話で「おみあしはいかがですか」というのを聞いてすごく感心した。最近年上の人に対しては使えるようになったけど、使う相手を選ぶ言い方だなとも思う(笑)。

「この度はどうもご愁傷様です」は、私もあまり親しくない人にしか言えない。相手をよく知っている人には、「残念でしたね」「もう会えないと思うと辛いね」「大変だったね」などと言います。身近な人を亡くした人と、残念で、悔しくて、悲しい気持ちを共有することで、相手も自分も慰められると思うから。

投稿者 mabu : 2005年04月10日 12:52

お悔みの挨拶は、私もせいぜい「このたびは……」しか言えません。mokurenさんの感じる「薄っぺらに聞こえるような」というのが、私にもあてはまります。

でも、何も言わなくても済むわけでもなくて、ご遺族に会ったらなにかは口にしないと変だし、こちらの気も済まない。mabuさんに近い「残念なことで……」「ほんとうにたいへんでしたね」「おさびしいでしょう」などという言葉を必死になって言うこともありますが……。

投稿者 辰巳渚 : 2005年04月10日 23:18

「ありがとう」が自然に言えるようになりたい。
もちろんいまでも言うべきときには言っていると思うけれど、「言うべきだから」、タイミングを計って、意図して言っている、というところがまだあると自覚している。
自分でも気づかないうちに「ありがとう」という言葉がこぼれていた、ぐらいの自然さを身につけるのが、私の憧れ。そういう「ありがとう」は、本当にきれいだと感じるので。

「ありがとう」については「『人づきあい』の作法」内の話題でhazukiさんも触れていますね。

投稿者 編集N : 2005年04月13日 13:51

「ありがとう」って自然に言える人は本当に素敵。知っている人にだけじゃなくて何かサービスしてくれた人に対しても自然に言えたらいいなって本当に思いますね。
ところで「ごきげんよう」は死語ですか?どこかで生き残っていますか?(どこかの大学で使われていると聞いたことがあります)言ってみたい挨拶ですが敷居の高い言葉にも思えていまだに聞いたことも使ったこともありません。

投稿者 hazuki : 2005年05月13日 23:31

ご愁傷様の意味がわかると言えるかも

投稿者 X-bood : 2005年05月14日 00:24

たしかに! X-boodさんの言うように、「ご愁傷さまです」ってよく意味が分からないまま使ってました。今思わず辞書を引いちゃったんだけど、愁傷って「嘆き悲しむこと」なんですね。
意味が分かったところで、うまく使いこなせるかは、私もまだちょっと自信ないけど…。

投稿者 mogura : 2005年05月14日 21:33

最近、メールでも「お世話になります」と冒頭にあり、いつからこういうことになったんだろうって思います。僕が会社に入った頃は、「貴社ますます・・・・」みたいな言葉だったけど。

昔も今もこういう言葉に違和感をもつ僕は、ビジネスのメールでもなるべく「お元気ですか?」とか「その後、如何ですか?」という書き出しをするようにしている。

投稿者 ANZAI : 2005年05月20日 01:04

お悔やみの言葉は万感を込めて「このたびは…」でもいいのではないでしょうか。要は亡くなった方を悼み、残された方々を思いやる気持ちが伝わればいいのですから、「お悔やみ申し上げます」とか「残念なことでした」などのシンプルな表現の方が好ましいと思います。
「ありがとう」は素敵なことばですよねえ。つい、なんでも「すみません」で済ませてしまいがちですが、「ありがとう」に置き換えられることってたくさんあるんですよね。
1回でも多く「ありがとうございます」と言って日々を過ごしたいと思います。

投稿者 pitter : 2005年05月20日 23:14

pitterさんの意見に賛同します。たまたま、今日、出演したtokyo FMのラジオ番組で「お悔みの言葉に『ご愁傷さまでした』って言いにくいんですが」と質問されて、同じ答えをいたしました。ほんとうに、万感こめて「このたびは……」でじゅうぶん故人を悼む気持ちは伝わりますよね。

投稿者 辰巳渚 : 2005年05月20日 23:28

 hazukiさん、私は10年来の友人4~5人と、「ごきげんよう」を使っています。

 その友人たちとは、中学時代から一風変わった挨拶を好んで使用していました。
「アロハ!」や、ひっくり返して、「ハロア~!」これが一番多かったです。
「ニイハオ!」や、「ハロー!」も当たり前でした。「ナマステ~」は何度か使いました。朝がそうですから、帰りは「シーユー」「アデュー」「サイツェン!」になっていました。学校で流行っていたわけではなく、その友人たちとの間でしか使っていません。
 受験中は、どんどん短くなっていきました。最終的には「ん~」に、おはようの意味を込めていました。返事も「ん」で、ああ、おはよう、と究極に短くなりました。帰りも、「んー」で、また明日ねーの意味でした。
 社会人になった今、挨拶の和風化が進んでいます。会うと、「ご機嫌、うるわしゅう」「久方ぶりでございます」「本日はおひがらもよく…」など遊んでいます。そうなると、別れるときは「ごきげんよう」です。

 あと、大学で文章講座の先生が使ってらっしゃいました。授業の終わりに、必ず「ごきげんよう」と挨拶されます。75才の女性です。話される言葉がいつも素敵で、こんな女性になりたいと思い、今もときどき先生を訪ねています。
 遊びでなく、かっこよく「ごきげんよう」を言いたいのですが、まだまだ風格が足りません。

投稿者 まゆ : 2005年05月24日 22:27

私は、お茶の先生に挨拶するとき、みなさんの慣例に従って「ごきげんよろしゅうございます」と言い、先生は「ごきげんよう」と答えます。
でもでも、なにか背中がむずむずする。

「ごきげんよう」って昔の山の手言葉でしょう。いわばかつての中流階級の言葉。まゆさんのように仲間内で意識的に言うのは楽しそうだけど、距離の遠い人に言うのは、私はなにか抵抗があります。お里が知れる?

投稿者 辰巳渚 : 2005年05月25日 09:14

 「山の手」について、辞書を引いた大阪人です。
下町に対する、山の手(高級住宅地)という意味なんですね。
たしかに、昔の言葉で、かっこつけているという感じがします。

 私も距離の遠い人に言うのは、難しいという気がしてきました。
遊びで使うということは、日常の挨拶の言葉ではないということですから。

投稿者 まゆ : 2005年05月25日 12:15

> お悔やみの言葉は万感を込めて「このたびは…」でもいい
というpitterさんのご意見に基本的には賛同するのですが、
実際にお悔やみの場で「このたびは……」と言っていると
なんでも「どうも……」ですませているような、ちょっとした
落ち着かなさを感じます。
それは気にしなくていい、ということなんでしょうかね。

投稿者 編集N : 2005年05月25日 17:29

挨拶には、「経験」によって身についてくるものがあると思います。
「年齢」は、「経験」の代表的なものですが、それだけではなくて。

狭い意味での挨拶とはちょっと違うかもしれませんが、老舗の仕立屋にインタビューに行った際、対応してくれた専務さん(50代前半ぐらい?の男性)が、帰り際に
「お召し物をどうぞ」(外は寒いので、遠慮せずにコートはここで着てください、の意)
と言ってくれたのが忘れられません。

お召し物!
中年のおじさんが口にして、あんなにさりげなくおさまる言葉とは、それまで思ってもみませんでした。

こういう、「職業的な経験」もあると思うし、
「茶道の経験」を積むと「ごきげんよろしゅう」が板についてくることもあるかもしれないし、
「心のこもった贈り物の経験」を積むと、「きっとお好きだと思ったので」などの(「つまらないものですが」といった紋切り型とは違った)心のこもった挨拶がさまになってくる、
ということもあるのではないでしょうか。

投稿者 編集N : 2005年05月25日 17:49

このテーマの冒頭に書いたように、かつていえなかった言葉が言い続けるうちに自然に使えるようになる。だとすれば、私の「ごきげんよろしゅうございます」も使い続ければ言えるようになるかもしれない。
言えるようになり、かつ、さまになるようになる、のか。

ということは、要はその挨拶を「自分の言葉にしたいかどうか」なのかしら。日常聞いたこともない挨拶もだけど、母親や知人が使っていて「いいな」と思うような挨拶も、「自分で言ってみる」ことが大事、ということ。

投稿者 辰巳渚 : 2005年05月26日 06:57

>使い続ければ
>言えるようになり、かつ、さまになるようになる
のかなあ。やや疑問。

たしかに、仕立屋の専務さんがさまになっていたのは、職業柄、「お召し物をどうぞ」を何度も口にしてきたから、のようにも思える。
けれど、“言った(言葉を使った)経験”ではなくて、洋服を作って/売ってきた経験、しかも、単に“商品”とか“メシのタネ”とかではなく、“お客様のお召し物”として扱ってきた経験、が重要のような気がするんですよね。

医療関係者の「お大事に」は、病人がよくなったり悪くなったりという過程に携わった経験によって、さまになっていく。
商店の「毎度どうも!」は、“買っていただいた”経験によって、さまになっていく。
口にした回数の問題ではないと思います。

もっとも、「お召し物」という言葉を使い続ける(まず言葉から入る)ことによって、「お客様に大切に着ていただくものを大切に扱う」という意識が培われ、よい仕立屋になる(結果として「お召し物」がさまになる人になる)ということもありそう。そう考えると、「口に出し続けることでさまになっていく」というのも、ある程度当たっているのかもしれない。

小難しい話になってしまいました。

投稿者 編集N : 2005年05月27日 00:43