もてなしの料理は手作りでなければならないか
家に友人の家族をたくさん呼んだので、夫といっしょに食材の買い出しにでかけたときのこと。夫が「子どもは鶏のから揚げが好きだから、惣菜を買っていこうよ」と言いました。「え、買った惣菜を出すの?」と一瞬、抵抗があったのですが、言われるままに買っておもてなしの食卓の1品にしたところ、子どもたちは大喜び。あっというまにはけてしまいました。結果的には大正解だったのですが、この小さな抵抗感、どう思いますか。
コメント
私は、お惣菜に抵抗感はありません。
子連れでくるお客様が増えてからそう思うようになりました。
大人がよろこぶ食事と子供が喜ぶ食事を用意するのは結構大変です。
また、子供は好き嫌いがはっきりしているので喜んでもらえると思って作っても一口しか食べてくれないことも。そうすると、その子の親も気を使うし、自分もがっかりします。
私は、子供の食事は定番の簡単なものをアレンジするか、おいしいお惣菜(コロッケや、から揚げなど)を用意します。
そのぶん、大人用?のお料理に力を入れます。
私の周りでは、招待された側が子供の好きな惣菜を持寄ってみんなでいただいたりすることも多いです。
これって、「おもてなし」とは言わないのでしょうか。
投稿者 hazuki : 2005年04月08日 21:26
定例となっている仲間内の集まりでは、1人1品持ち寄ります。自分が食べたい(飲みたい)もの、みんなに食べさせたいもの、自分の子どもが好きなもの、作ったものでも買ってきたものでもかまわない、という暗黙の了解があります。みんなが忙しくて、結果的に買ってきたものばかりになっても、みんなくつろいで楽しい時間を過ごせます。これはhazukiさんのケースとも違っておもてなし、とは言わないかもしれないけど、こんな集まり方もあってもいいのでは?
投稿者 mogura : 2005年04月11日 00:11
この「小さな抵抗感」は良いと思います。子供がそういう惣菜に喜んでいること自身に「小さな抵抗感」を持ちつづけないと、料理と舌のレベルは落ちていくばかり・・・・。
そういう惣菜を出さざるを得ない時もあるでしょう。でもそれは「冗談で買ってみたら結構いけるね」という話題提供の範疇であると、(少なくても)心のなかでは位置付けるのが良いのでは?と思います。
投稿者 ANZAI : 2005年05月19日 19:51
ちょっと反発をかうかもしれませんが、ウチでは、鍋ものやすきやき、あるいは手巻き寿司は料理とは言わないと定義しています。
こういう食事が嫌いということではなく好きですが、これを料理といって人をもてなすのはウチのルールに反しているということです。
投稿者 ANZAI : 2005年05月20日 23:32
反発というわけではないけれど、我が家では手巻き寿司は子どもがいる家族を招いたときのもてなし料理ですね。なにしろ「ラク」なので、子どもの世話をしながらでも大人がゆっくり会話を楽しめる。
少し話を戻して、「惣菜を出すのは話題提供の範疇」という考え方は私の故人的な考えに近いです。「おいしい柿の葉寿司なの、食べてみてほしくて」とか、「おいしい」といわれたら「でしょ。じつは近所のおいしいハム屋で売っているポテトサラダなんだ。うち、ファンなのよ」とか、話題にしながらお勧めしたい。
投稿者 辰巳渚 : 2005年05月20日 23:49
>鍋ものやすきやき、あるいは手巻き寿司は料理とは言わない
おおー、ひとつの見識ですね。
では「手巻き寿司パーティ」は、「お茶だけ」と同じく“料理なしのおもてなし”ということになるのかな。
投稿者 編集N : 2005年05月21日 00:01
「手巻き寿司」は我が家では「ワークショップ」ととらえています。食卓に並ぶ料理のうち、6-7割に手をかけているものを「料理」と考えています。
投稿者 ANZAI : 2005年05月23日 16:41
「ワークショップ」ですか。なるほど。
最近、私は義理の妹夫妻とするバーベキューにはまっているのですが、バーベキューも「ワークショップ」かしら。バーベキューって「おもてなし」とは言いにくい感じがするけど、「ホームパーティ」のひとつのパターンのようにも思います。
ま、要は、楽しい時間をごいっしょできればいいわけですが。
投稿者 辰巳渚 : 2005年05月23日 20:34
辰巳さん、昭和研究家としてちょっと教えてください。
日本で寿司や刺身の盛り合わせを出前でとって、それに「料理」を加えるという「手法」が習慣として定着しはじめたのはいつ頃なのですか?
投稿者 ANZAI : 2005年05月24日 01:45
ああ、調べてみます。すぐにはわからない。地方にもよるんですよね。ちなみに、私の両親の実家は福井ですが、福井では来客には仕出しを取るのが常識でした。今でもそういう気配は残っている。
大都市部の過去の習慣に詳しい方、いませんか。教えてください。
投稿者 辰巳渚 : 2005年05月25日 09:16
> 大都市部の過去の習慣に詳しい方、いませんか。
詳しいかどうかわかりませんが、父に聞いてみました。
編集Nの家は東京の武家の出で、父は青山で育ちました。
その経験範囲での結論を先に言うと:
*出前をとるようになったのは明治初期ごろ?
*「来客には仕出し」は、昭和初期の東京・下町では常識化していた
*出前に「料理」を加えるという「手法」はどのぐらい定着して
いるのでしょうか(情報求む)
以下、長文なので、「結論」だけでよい方は飛ばしてください……。
*出前をとるようになったのは明治初期ごろ?
父の祖母(明治2年生まれ)が、子どもの頃の思い出話として
「祝いごとがあると寿司や鰻の出前をとった」と言っていたそうなので
遅くとも明治初期には、「ぜいたく」ではあるものの、
ある程度定着していたことがうかがわれます。
また、ものの本によると、江戸前寿司の成立した
文政年間(1818~32)には、「芝居小屋に出前を運ぶ寿司屋」という
絵(浮世絵?)がみられます。家庭ではないものの、
「楽しい時間をごいっしょする機会に出前をとる」ことは
江戸ではそのころから珍しくなかったのでしょう。
*「来客には仕出し」は、昭和初期の東京・下町では常識化していた
時代は下って昭和初期。
父の家(すなわち山の手)では、戦前、来客のもてなしは
手作り料理だったり、出前や仕出しをとったり、両方あったそうです。
考え方としては「手作りこそおもてなしの本道」でありつつ、
「出前の方がお待たせしない」「急な来客で、用意がない」などの
ちょっとした言い訳をしつつ、とっていたらしい。
「もてなしの料理は手作りがよい」という考え方は、どちらかというと
山の手的なもので、下町の場合は「素人料理ではもてなしとして失礼」
という考え方が当時からあり、「来客には出前(仕出し)」が
常識だったのではないか。と、これは
下町の友人宅では出前でもてなされることが多かった、
という経験からの、父の観測。
実際問題として、仕出しをするような店が地域によって
どんなふうに普及していったか、という問題もあります。
父が戦時中に疎開していた千葉の田舎では、
「うちの町には仕出しをする店はなかった。隣町には1軒あったけど」。
下町で「来客には出前が常識」となったのも、
出前という選択肢が現実的だった背景があってのことと考えられます。
職人が外食する店だった寿司屋が、家庭に出前をするように
転化していった、などの事情がありそう。と、これは私の推測。
父の家では、出入りの魚屋が家に来て刺身やちらしずしを
作ることもあったそうです。出前、仕出し、出張料理は、
魚屋のサービスとして一般的だった。
つまり、「出前」という選択肢もあったけれど、山の手の常識としては
もてなしとしてあまり上等なものとみなされていなかったようです。
「買ったお惣菜を出すの?」という感覚は、
この山の手的な常識の流れをひいているようにも思えます。
*出前に「料理」を加えるという「手法」はどのぐらい定着して
いるのでしょうか
ANZAIさんの書いている
> 寿司や刺身の盛り合わせを出前でとって、
> それに「料理」を加えるという「手法」
について。
父の話ですが
「『出前』に『料理』を加える」
という手法は、幼少時から近年に到るまで
あまり見たことがないそうです。
出前なら全部出前、「料理」なら全部手作り。
混在のパターンとして
「寿司を出前でとって、吸い物は手作り」
「ちょっとした『料理』とお酒でもてなしているうちに
食事どきになって寿司をとる」
というのならあるけれど……とのこと。
これは私の感覚とも一致します(親子だから当たり前か)。
というわけで個人的には「習慣として定着」している(していた)
感覚が薄いのですが、みなさんはいかがでしょうか?
長文失礼いたしました。
投稿者 編集N : 2005年05月25日 17:23
>日本で寿司や刺身の盛り合わせを出前でとって、それに「料理」を加えるという「手法」が習慣として定着しはじめた
習慣として定着したかどうかの、客観的な考察はできませんが、自分の小さい頃に来客があったときのことで考えてみると(三十数年前です)、ごく親しい身内が訪ねてきたときに、その手法が使われていました。
例えば両親にとっての甥っ子が訪ねてきた時。手料理でおもてなしのお惣菜を何品も作り、最後に「まあ、お寿司でも食べていきなさい」と言って出前の寿司をとる。
または両親にとっての親が訪ねてきた時。やはり母が料理を自分で何品も作り、もてなすのですが、「やっぱりお刺身でもないとちょっと物足りないから」と言ってお刺身を加える。
父の出身は新潟、母の出は千葉で、どちらの習慣に従っていたとも言いにくいのですが、どちらにしても「いろいろちゃんぽんにしちゃったけど、身内だからいいか」という雰囲気が漂っていたように思います。
投稿者 mogura : 2005年05月28日 23:14
もてなしの作法として昭和初期の山の手や下町の人たち、地方の人たちの考え方が見えてとても興味深く読ませていただきました。昔から、家に来てくれた人に少しでもおいしいものを提供したい、歓迎の気持ちを表したいということで時代や環境に合わせて各家庭で工夫していたんですね。それが仕出しであっても手作りであってもよかったわけで。。。
おもてなしに手料理!も、もちろん素敵ですが自分の手料理よりもおいしいお惣菜があるなら出せばいい。「そこに訪れた人が喜んでもらえるものを心をこめて用意する。」心づくしの手料理を喜ぶ人なのか、みんなで楽しくお鍋を囲むことを喜ぶ人なのか、一品ずつおいしいものを持ち寄ってみんなで楽しくいただき、招待した家ではおいしいお茶やお菓子を用意してもてなすとかもっと自由に考えたいです。
投稿者 hazuki : 2005年06月22日 00:56
私の友人が、このテーマを読んで「みなさん、とってもちゃんとしているのね。鍋はもてなしじゃない、なんて……」とびっくりしていました。
かくいう私も、「小僧寿し」を買ってきて友人家族とお酒を飲んで楽しんだこともある。ほんとうに何にもないのに「何にもないですけど」と隣の60代のご夫婦を呼んで、大人2人+子ども1人分の料理を5人分に増やそうとしたけど増えなくて、途中で食べるものが何もなくなったりしてしまったこともある。夕方立ち寄った友人に「夕食、食べていきませんか」と言って、豆のスープと昨日のビーフシチュー(だけ)を出したこともある。
そのときの趣旨によるのかな。私は、料理に気合を入れて「おいしいものを食べてもらおう」と思って人を呼ぶことがあるんだけど、そういうときにはやっぱり鍋はしないだろうし。
投稿者 辰巳渚 : 2005年06月24日 15:18
編集Nさん、非常に参考になりました。ありがとうございます。
僕は辰巳さんの、”私は、料理に気合を入れて「おいしいものを食べてもらおう」と思って人を呼ぶことがあるんだけど、そういうときにはやっぱり鍋はしないだろうし。”という感覚をもっていることが大切なんだと感じています。
投稿者 ANZAI : 2005年06月27日 00:31
>私の友人が、このテーマを読んで「みなさん、とってもちゃんとしているのね。
>鍋はもてなしじゃない、なんて……」とびっくりしていました。
もてなす側に立ったとき“我が家のルール”(たとえば、「鍋料理は出さない」)を持つのは
いいことだと思いますが、招かれた側に立ったとき、同じルールを相手に適用しちゃいけないなと思います。
“お客さんをよぶからには鍋料理はしないわ”と決めるのはいいけれど、
“お客に鍋料理を出すなんて、もてなす気がないのね”という判断の仕方はやめましょう、ということ。
家に人をよぶことで料理の腕が上がる、腕が上がると人をよんで食べてもらいたくなる、
というふうに好循環になればいいんだけど、そううまくいくとも限らないし。
おもてなしのよしあしは、「手料理か否か」「どんなメニューか」ではなく、
楽しく過ごせたか、くつろげたか、そのための配慮があったか、ということで決まると思っています。
投稿者 編集N : 2005年07月04日 22:58
もてなしの基本は料理そのものじゃないですよね。お客様の体調や気分を重んじることが大切ですから、場合によっては梅干のお茶漬けだけを出すことだってよいわけです。あるいは相手に食欲がないと気づけば、何気なく即皿を下げるのもスマートです。
そういうもろもろの基本を踏まえたうえで、料理への手のかけ方がもてなしのレベルとして問われるのはおかしなことではないでしょう。もちろん、もてなされる側が言い出すべきことではありません。
投稿者 ANZAI : 2005年07月05日 19:48
>おもてなしのよしあしは、「手料理か否か」「どんなメニューか」ではなく、楽しく過ごせたか、くつろげたか、そのための配慮があったか、ということで決まると思っています。
私もそのとおりだと思います。
料理の手のかけ方がもてなしのレベルとして問われるという意見を読んで、思い出したことがあります。
ある友人の家に初めて招待されたとき、テーブルにはたくさんの手料理が用意されとてもうれしく思いました。でも彼女はゆっくり話すひまもなく立ったり座ったり次の料理の用意をしたりでこちらもなんだか落ち着くことができませんでした。
私が期待していたのは手の込んだ料理よりも、彼女の家でお互いにくつろいで楽しい時間を共有することでした。
一人で手のこんだ料理をいろいろ出すことと、落ち着いて客人と楽しく会話することを両立するなんて難しいです。
もし、夫婦でおもてなしをするのであれば、客人とゆっくり会話を楽しむ夫と、手料理をだしながらときどき会話に加わる妻(逆もある)なーんてさりげなくお互いをフォローしあって客人を楽しませたりくつろいでもらったりできるわけです。
でも一人でおもてなしをするのなら自分がテーブルを離れる時間が短かくてすむ料理(手料理じゃないものも含む)や客人参加型の料理が適しているように思います。
料理の手のかけ方でもてなしのレベルを問うのは招待する側のこだわりの部分であって、招待される側はそれほど料理の内容(手料理か否か、メニューはどうか)にこだわってるとは思えないなぁ。
うれしいおもてなしを受けたというお話を聞きたいものです。やっぱり手料理が一番なのかしら。
投稿者 hazuki : 2005年07月06日 01:22
> 料理への手のかけ方がもてなしのレベルとして問われるのはおかしなことではない
そうですね。
手をかけてもかけなくても“関係ない”んじゃ、腕を振るっても甲斐がないし。
おいしい手料理でのもてなしは、素直に賞賛します。
でも、「鍋(手抜き)」「出来合いのお惣菜」「出前」で
いい印象の残っているもてなしもあるし、その分かれ目(料理に関して)って何なのかな、と
考えてみました。
*メニューの基本的な部分はもてなす人が決めてほしい
嫌いなものを聞くなど、相談してくれるのはいいのですが、
客に決定させるのはやめてほしい、ということです。
あと、自分が招待したにもかかわらず
「料理は妻の担当なので、今日なにが出てくるか、僕も知らないんです」
なんて言うのも、感じがよくないと思います。台所に立たないとしても
メニュー決定には関与していてほしい。
*もてなす人も宴席に加わって飲食してほしい
*無理をしないでほしい
hazukiさんも書いているように、「ゆっくりしてね」と口でだけ言われても落ち着きません。
「もてなす人は飲まず食わずが当たり前。別に無理しているわけでも
不満なわけでもない」という人もときどきいますが、
もてなされる側としては釈然としません。
*嘘をつかないでほしい
「面倒だから鶏のから揚げ買ってきちゃった」なら、
そう言う方がいいと思います。
「手料理がいちばん」と思うあまりに「うちで揚げたの」と
嘘をつくのは、やめたい。
招かれる側の勝手な言い分ではありますが
(よんでくれるだけで感謝すべきですが)。
投稿者 編集N : 2005年07月12日 21:15