「お返しはするもの」なのか
私の母には親しく行き来している友人のグループがあって、お互いに娘や息子の近況報告をしあって楽しんでいます。そのためか、私の結婚のときや出産のときなど、母の友人たちからお祝いの品をいただくことがよくあります。ほんとうにありがたいことなのですが、「お返し」について母親と意見が食い違う場面も生んでしまうのです。「お返しはしたの?」という母親と、「お礼だけじゃだめなの?」という私と。あなたにとって、「お返しはするもの」とストレートに考える機会はありますか。
コメント
お返し、悩みの種ですねえ、ホント。私の母にも仲間がいて、結婚、出産の時にその方たちからお祝いをいただきました。これには母の世代の考えるお返しをせざるをえませんでした。うちの母も「お礼だけじゃダメ」だというので…。でも、会社の同僚からの結婚祝いには、お礼や新婚旅行のお土産などですませました。同世代としてこんな考え方で通じるのかなあと思っていたのです。
そしてその同僚の結婚の時には(金額的にも)気軽なお祝いを贈り、お返しなどはまったく期待していなかったのですが、キチンとタオルのお返しが届きました…。これって、私がとっても失礼をしていたということだったのかしら…。同世代の間でもいろいろな考え方があるんだなあ、と思い知らされた出来事でした。
かれこれ、5、6年前の話です。
投稿者 mogura : 2005年04月06日 22:11
贈り物に言葉の包装紙が必要なこともある、という話がありましたが、そういう意味では「気持ちばかりのものだから、お返しはいらないからね」という言葉を添えることもたいせつではないでしょうか。それでもお返ししてくる人もいるでしょうが。
投稿者 辰巳渚 : 2005年04月07日 19:42
本当ですね、ひとこと添えればよかったのに、それを省いたばかりにとっても気まずい思いをすることになりました。御礼にしても、お返しにしても、ものを贈ることって、実際には『ものを贈る』ことだけにとどまらない行為なんですね。
投稿者 mogura : 2005年04月07日 20:27
以前、お葬式の香典返しをユニセフだったかどこかに寄付します、というのがありました。私はいいことだと思ったのですが、親世代のお葬式に参列していた人たちが影で「自分のお葬式の時にはそんな恥ずかしいことをしないよう子供に言っておかなくちゃ」とか、「常識がない」など話しているのを聞いてしまいました。
ちょっとこわいな、と思いました。
私は親の世代とお付き合いする場合はその世代の常識に合わせています。いまさら理解はされにくいと思うので。
でも、同世代ならば気持ちを言葉で伝えて「お返し」のあり方も変えていけますよね。
出産祝いに関しては、最近、友人の提案で4人あわせて一つの贈り物をしました。「お返しはいらない」と伝えた上で、一人ひとりの出費は相手が気を使わない程度の値段にしました。
贈った相手もお返しを選ぶのが大変だから気が利いてると話してくれましたよ。
投稿者 hazuki : 2005年04月08日 02:12
親世代の常識って、私の場合、あとから気づくことも多くて参ります。「常識がない」と指摘されてあとで「ええっ、そう思われていたの」と気づくことが多々あります。
以前、70代くらいの方から物を送っていただいたときに、すぐに「受け取りました」と電話しなかったら、「届いているのでしょうか」と確認の電話をいただいてしまったことがあります。私としては、一面識もないし、送っていただいた品物の代金を指定の銀行口座に振り込んだので、それでよし、と思っていたのでした。
その方を紹介してくれた母にも叱られ、「ああ、私って……」と落ち込んでいましたが、その後、私の著書をその方に贈呈したときには1か月たっても連絡がなく、ようやく届いたのは通り一遍の葉書の礼状(走り書き!)だったので、なにか悔しいような気分になった覚えがあります。
年輩の方、というだけで、私のほうに「ていねいにしなくては」という思い込みがあるのかもしれません。「届きましたか」という電話は、単に「届いたのか」と心配になったから電話しただけだったのかも……。
こういう世代間ギャップについては、その他の作法にも取り上げています。
投稿者 辰巳渚 : 2005年04月10日 23:58
お返しってホント難しいですね。私は原則的に、相手が個人の場合は必ずお返しをするようにしています。とくに親しい友人でもない場合は上下に関係なく。親しい人には、別の機会にモノでなくても、別のお返しができるかな、と思って言葉だけですますこともたまにありますが。企業の場合は、できる限りお礼状を出すようにしています。
ときどき気になるのは、私が贈る側になったとき、お礼はもちろん「届いた」の一言もない人がいることです。言いづらいことですが、ジャーナリストや企業の管理職の方にそうした傾向が見られるようです。仕事上のおつきあいですから特別な感謝は期待していませんが、それでも何だかとっても不愉快な気持ちになります。職業というより個人の問題かもしれませんが。
それから、ここにある「品物の代金をすぐに振り込んだ」というのは、贈り物とは趣旨が違うような気がします。
通販専門の企業相手なら黙っていても振り込めば完了でしょうが、個人相手なら、面識があってもなくても(ないならなおさら)「届きました。これからすぐ振り込みます」の連絡くらいは当然だと思います。近頃流行りのネット・オークションの世界でも結構常識化していますよ。
なお贈呈品のお礼としては、たとえ定型文であったとしてもハガキを書く方が、電話よりはるかに丁寧で手間もかかります。時間がかかるのもムリはない?
こうした考え方は、個人の価値観や職業、生活習慣や環境で大きく変わりますので、世代間ギャップで片付けるのはムリがあるのではないでしょうか。
投稿者 addneko : 2005年05月12日 23:08
これは全ての文脈を読み込まないと判断できない問題ですね。ただ贈り物とお返しという一往復で何らかのコミュニケーションの発展が伺えないと、双方とも「ちょっとガッガリ」という気分を味わうのではないでしょうか。
そして、この気分を共有しない人同士は、その後も関係の深化は望みにくいですね。
投稿者 ANZAI : 2005年05月19日 16:29
贈り物をして気持ちを表現したら、やっぱりなにかは戻ってきてほしい、それは物がほしい、ということではなく相手の気持ちが戻ってきてほしい、と感じるのは、ごく自然なことだと思います。それをないがしろにしては、関係は深くならない。そのとおりです。
問題は、それが「お返しの品」でなければならないのかどうか、ということ。心からの「ありがとう」が「お返し」では足りないのか。
これは、私がいいかげんな性格だから思うのかもしれません。贈り物をもらってとっても嬉しくても、「お返しを買いに行く」というただそれだけのことに、すぐ動けなくて1週間、いや1か月平気で経ってしまうのです。
せっかく贈り物をもらっても、「お返ししなきゃ」と思うだけで気が重い。
逆に物を差し上げるときでも、「何かしてあげたい」と思い、ちゃんとその気持ちに従って「贈り物をした」というだけで満足してしまい、相手がお礼状をくれたかとか、電話をくれたか、ということは、あまり気になりません。会ったときにでも「このあいだ、どうもありがとう」くらい言ってくれればそれで気が済んでしまいます。
でも、やっぱりはっきりした「お返し」って必要なんですか。
投稿者 辰巳渚 : 2005年05月20日 22:45
「お返し」を必ずするのは、借りをつくりたくない相手から贈り物をもらったときですね、僕の場合。
そうでない時は、電話やメールあるいは手紙で感謝の気持ちを伝え、「今度、あの人に何か喜んでもらえるものがあれば、送ろう」と自分の記憶にしまっておきます。アイデアがすぐ出ればすぐ送るし、なかなかないのなら1年たつこともあります。
その間に相手との交信で、「ああ、こういうものが欲しかったのか」とか分ることもあるでしょう。それで贈り物をすることもあります。
でも何よりも考えるのは、「これをきっかけに、何か一緒に有意義な共有体験のチャンスを探ってみたいな」ということです。
投稿者 ANZAI : 2005年05月22日 23:25
今日、NHKラジオに出演してきました。今回の「新作法」の本についてのインタビュー番組だったのですが、リスナーの方から「お返し」についてたくさんのファクスやメールをいただきました。
少しご紹介しますね。適宜、要約しています。
「相手によって対応を考えればよかったのに、結婚当初はわからなくて義母に相談し、言われるままにお返ししていたところ年間20万近くかかってしまってびっくり。とてもキツかった。いまは、夫婦で適当に話し合ってやっていますが、誰とも仲が悪くなったりしていませんよ」
「家庭菜園をしているので近所に配って歩きます。でも、みなさん『いただきものですけど』などとお返しをしてくれるので、かえって高くついているのではと心配に」
「若いときは堅苦しく考えていましたが、年を取って、人になにかしてさしあげたときにすぐお返しをいただいたりすると、何か好意を無にされたような気がして、寂しい気がします」
「私は、お返しのいらないように、入院、入学などは絵手紙を添えて送っています」
などなど……。
たくさんいただいた中で、お一人だけ反対意見として、「人からなにかしてもらったらあたりまえという風潮がある気がします。モノがどうこう、というのではなく、ありがたいという気持ちがあればおのずと何かの機会におすそ分けをするとか贈るとかいう行動になるのではないでしょうか」という方がおいでになりました。
たぶん、ラジオのかぎられた時間だったので誤解もあったかもしれません。私の言いたいこともまさにそういうことで、「お返ししなきゃいけないからする」ではなく、「ありがたいと思えば、お返しでなくても贈りたい機会を見つけたら贈るなどの別のことができるよね」なのです。
でも、ラジオは反響がたくさんあるのに、このサイトには何人かの常連さんしかご意見がこないのはさびしいことです。ごらんになってもご意見を書き込んでいない方は、ぜひ一言でも感想を書き込んでくださいね。
投稿者 辰巳渚 : 2005年05月23日 20:31
辰巳さんが冒頭で言っている
>「お返しはしたの?」という母親
のような人は、常に「贈り物をもらう=借り」
という意識が強いのでは。
そういう人がANZAIさんの
>「お返し」を必ずするのは、借りをつくりたくない相手から
>贈り物をもらったときですね、僕の場合。
という基準を採用すると、すべての贈り物にお返しが必要、ということになってしまう。
「もらったらすぐにお返し」って、『ババ抜き』みたい、と思いました。
自分のところにJoker(借り)を置いておくのは嫌、
ましてや最終的に手元にそれが残ったら、“負け”になる。
でも、ものに託した気持ちのやりとりは、『キャッチボール』ですよね。
自分の手の中にあるボールは「借り」じゃないし、早く投げ返すほどいいわけでもない。
どちらのグローブの中にボールがある状態で終わるかなんて、問題じゃない。勝ち負けもない。
投稿者 編集N : 2005年05月27日 12:13
時には贈り物は暴力的です。
以前取引先の会社からお中元が届きました。3千円くらいのものでした。
仕事上その会社の業務監査をしていたので、すぐに電話してお礼を言いつつも、もらう筋合いのものではないとやんわり言い、お返しに5千円くらいのものを送りました。
その冬にまた同じようなことがあり、丁度受け取りに出たのが私でしたから、あれほど言ったのにと思いつつ受け取り辞退をして翌日朝一で電話を入れました。お願いですから無駄なことは止めてください・・と。
相手は会社の交際費で送っていますが、私は自腹でお返しです。
以前は親の知人で面識もない人から時々戴き物をしました。しかしどんな人かわかりませんし、先方の好意はわかりますが、辟易しました。一応親に確認してからお礼の電話は入れましたが、お返しはしませんでした。
子供が生まれた時に戴いたガラスケース入りの人形の数々です。
この手のものの処分に困っていた時に『捨てる技術』が役に立ちました。
「お返し」の作法・・・・⇒『贈らない』作法?
最近は戴くことも贈ることもほとんどなくなり、いい塩梅です。
投稿者 通行人N : 2005年05月31日 13:22