「相手が喜んでくれる物」の見つけ方
こんなに豊かな世の中、なかなか「相手が喜んでくれる物」は見つけにくいものです。辰巳は、親兄弟や友人には、「何がほしい?」などとはっきりと尋ねています。あなたは、どうしていますか。
コメント
今朝、夫は表具の師匠の家に行くときに「今日はなにか手土産を持っていこう」とつぶやいていました。老夫婦なので、お菓子はもてあますのでは、といつも思っていたので、近所のおいしい肉屋さんの「豚の味噌漬け」をおすすめしました。もちろん、贈答用ではなく、ただの肉屋の包み方になると思うのだけど、これって喜んでもらえるかしら。
投稿者 辰巳渚 : 2005年04月04日 09:59
はじめまして、です。「ただの肉屋の包み」。いいですね~私は好きです。ものすごく堂々としていて自信がある感じがたまりません。中身で勝負という直球がぐっときます。目上の方への贈り物は、「何が欲しいか」聞く訳にもいかず、あれこれ迷った挙げ句、包装や有名処に頼りがちな私ですが、中身で勝負できるレパートリーを増やしたいなあと思います。
投稿者 mokuren : 2005年04月04日 21:18
「近所のおいしい肉屋さんで買ってきました」という“言葉”が、包装の代わりになると思う。「網焼きにすると香ばしくておいしいんです」「うちでは刻んで野菜と一緒に炒めることもあります」というような、食べ方(使い方)の説明とか。
そういう“言葉”抜きに、ただの肉屋の包みを持っていくのは、ちょっとそっけない感じもするが。
投稿者 編集N : 2005年04月04日 21:33
追加です。
似た例として私は「うちの庭の木になった枇杷です」と言って、なんでもない紙袋に入れて持っていったことがある。
年上の友人宅を訪れるときの手土産。
「相手が喜んでくれる物」だったかな? ちょっと不審げに見られたような気もする……。
投稿者 編集N : 2005年04月04日 21:44
本当に欲しいものを贈っているかどうか、やっぱり悩みますよねえ~。金額にもよりますが、『買うまでもないけれど、もらったらちょっと嬉しい…』というようなものを探すことがよくあります。以前「花梨の実をたくさんもらったので…」とおすそ分けをもらったことがあるけど、嬉しかった。自分じゃ買わないのに、です。さっそくハチミツ漬けや花梨酒にしました。びわもきっと喜ばれたのでは?
投稿者 mogura : 2005年04月04日 22:00
たしかに、編集Nさんの言うとおり「うちもよく使っている茅ヶ崎駅前の肉屋さんなんです」という「言葉」が大事よね。そういう言葉って、事前に「作文」しておいたほうがいいのかも。こういう「注釈」って、渡すときにうっかり言うタイミングを逃すと、それっきり言い出しかねて困るしね。以前、地方に住む友人に東京にしかないベルギーのチョコレートをお土産に持っていったとき、「娘さんの家と分けてね」と伝えそびれて、帰る間際にまたチョコレートの話を持ち出し、なにやら恩着せがましい行動を取る結果になったことがあります。うーむ……。
投稿者 辰巳渚 : 2005年04月04日 22:17
ところで、「はっきりと聞く」のはいいけど、「はっきりと答え」てくれない人もいませんか。私は「なんでもいい」「どっちでもいい」という言い方があまり好きではありません。相手が母や夫などだと、「そう、じゃああげるのやめる」と言ってしまったことも……。
投稿者 yuko : 2005年04月04日 22:28
枇杷は、不審げに見られた気がして
「こういうものを贈り物にしてはいけないんだな」
となんとなく思ったのだけれど、
「喜ばれたのでは?」というmoguraさんのコメントを読んで、「この人は、こういうものを喜ばないんだな」
と受け止める方がよかったのかと思った。
「相手が喜んでくれる物」の見つけ方として
「試しにちょっと贈ってみる」
というのは、ありだろうか。
枇杷を贈ってみて、
「この人は、こういうものを喜ばないんだな」
と思ったら、次に花梨を贈るのはやめる。
投稿者 編集N : 2005年04月05日 14:24
枇杷で言えば、私も知人から箱づめで「庭の枇杷」をいただいたことがあるけど、「あの、庭に生えていた立派な枇杷の木の実ですね。ありがとう」と「贈ってくれた気持ち」が嬉しくてお礼を心から伝えた記憶があります。
じっさいには、枇杷は年1度も食べればじゅうぶんな程度の関心しかない。でも、相手は「枇杷が好きなんだ」と思った可能性もある。
相手の反応を見て検証するのは、むずかしいですよね。
投稿者 辰巳渚 : 2005年04月05日 17:09
「なんでもいい」って「どーでもいい」と言われていると感じるときもあるし、「あなたからいただいたものなら何でもうれしい」という意味かなー、なんて都合よく解釈してしまうこともあります。
たいていの場合めでたく後者であろうと解釈して、「じゃあ、甘いもの好き?」とか自分の好みのものから提案して反応をみます。どうせなら贈った相手に喜んでもらって自分もハッピーな時間を過ごしたいですから。
ところが以前どう投げかけても「どっちでもいい」で返された時は参りました。今となっては笑い話ですが、まさにどーでもいい関係になってしまいました。。。
投稿者 hazuki : 2005年04月05日 19:20
hazukiさん、で、どう投げかけても「どっちでもいい」と返された相手には、どういう物を贈ったのですか。もしかして、贈るのをやめたんですか? 「どーでもいい関係」って、どういう関係かぜひ詳しく知りたいです。
投稿者 辰巳渚 : 2005年04月05日 20:22
何を送ろうか考えるのをやめて、贈り物の王道をゆく老舗の菓子折りを贈りました。
「どーでもいい関係」とは相手からどう思われてもいいから連絡をとりたくない相手になったということです。
贈り物の一件だけでそう思ったわけではありませんが、「人に合わせて自分の意思は見せない」事と「謙虚さ」を美徳としている人だったので私とは合わないのでしょう。
私は「相手も良し自分も良し」のキャッチボールを楽しみたいほうなので。。。
話は変りますが、
「試しに贈ってみる」というのでお花を贈ったことがあります。お花を贈って喜ばない女性はいないと思い込んでいました。(あの頃は若かったー。)
そのとき喜んでもらえたと思って何度か記念日にお花を贈ったところ、花はすぐ枯らすのでもったいない、あまり好きではないということを告げられました。もちろん親しくなってからです。
相手の反応だけで判断するのは本当に難しいし、思い込みもいけないなと実感しました。現在その人への贈り物は100%リクエストによるものです。贈る側としては選ぶ楽しみがないのでちょっと面白みがないですが、相手はほしいものをプレゼントされて本当にうれしそうです。
投稿者 hazuki : 2005年04月05日 21:40
せっかく贈り物をするんだから、自分で選択する楽しみも残しておきたいですよね。相手をびっくりさせたり、喜ばせたりしてみたいという気持ちもあるし、贈り物の楽しみってやっぱりそこにあると思うから。
私には、知り合って親しくなっていく過程で「試しに贈ってみる」ことは避けられないことで、そこでの調整もまた必要なこと、という気がします。もちろん相手の反応をみて検証しても、それがまた的外れだったりするかもしれないけど…。それをきっかけにまた仲良くなれたりすることだってありますよね。
投稿者 mogura : 2005年04月05日 22:12
はじめの方のコメントの続報です。帰ってきた夫に「お師匠さん、味噌漬けを喜んでくれた?」と訊いたら、「いや、味噌漬けだって伝えてないから、わからない」と。
「え、何も言わずに渡したの」と訊いたら、「奥さんに、『冷蔵庫に入れないと』と言って渡したよ」と言うのです。本人いわく、手土産の説明をする時間もなく、本題の話を話し込んでいたからだそうですが。これって……。
投稿者 辰巳渚 : 2005年04月06日 12:28
辰巳さんの上のコメントを読んで、以前魚の粕づけ?をいただいた時のことを思い出しました。珍しいもので、確か生でも食べれると聞いたような聞かないようなで、結局しっかり火を通して食べましたが、美味しい食べ方をちゃんと聞いておけばよかったと後悔しました。
豚の味噌漬けだということは、開けてみればわかるのでしょうが、「言葉の包装」があるともっと喜ばれたかもしれませんね。そして、言葉のキャッチボールがあれば喜んでもらえるものだったかどうかも探れるし。
手土産は、出すタイミングも難しくて…。話が始まってしまうと、言おうと思っていたこともちゃんと言えずに帰ってきてしまったりします。
投稿者 mokuren : 2005年04月07日 08:18
相手の嗜好が分からないときは、ちょと良いものを少しだけ持っていくことにしています。たとえ好きでないものでも、少しだけならなんとかなるかなと。
以前、3人家族の家に銀ダラの粕漬けを3切れだけ持っていったときは、さすがに少なすぎるかなあと、ずっと気になってしまった。こっちが気を遣っても相手にどう伝わるかは難しい。
投稿者 mabu : 2005年04月07日 18:24
ほとんど余談のような投稿で申し訳ないけど、10年ほど前、翌日に旅行に出かける人の家を訪ねたことがありました。ふたり暮らしの家でした。
手ぶらで行ってもいい仕事の打ち合わせだったんだけど、私はその人がとても好きだったので、なにか持って行きたくて、大ぶりの上等な桃を2つ持っていったのでした。「少しだけですが。今日が食べごろだそうです」と言って渡したら、その人は即座に「ああ、桃は好物なんですよ。今晩すぐにいただきます」と言ってくれて、確実に私の配慮が伝わった感が。
贈った私が嬉しくさせてもらった贈り物の体験で、いまでもよく覚えているくらい。「ちょっと良いものを少しだけ」からの連想でした。
投稿者 辰巳渚 : 2005年04月13日 22:24
僕はイタリアにいて、日本から持ってきて欲しいものは、くだらない週刊誌。俗っぽいやつ。これを日本の人に言うと、ビックリして「それでいいんですか?」と聞き返されます。「それを持ってきていただいたら、最高に嬉しいです」と答えると、「そうですか・・・」と残念そうな声がします。
なんかどこどこ産の日本酒とか、どこかの和菓子を買ってきて喜ばせたいと思ってくれていた様子。もちろん、それも大変嬉しいです。でも俗っぽい週刊誌はこっちから言わないと、その欲求に気づいてくれない。そこが分かってくれる人、大好きです。
投稿者 ANZAI : 2005年05月20日 01:15
きっとイタリアでは「どこそこの日本酒」「和菓子」より「週刊××」の方が手に入りにくいんですよね?
「どこそこの和菓子」には「老舗の和菓子に詳しいところを見せたい」というような、贈る側の表現欲求がちょっと入っているのでは? で、それが満たされないので、つい残念そうな声が出てしまう、と。
「俗っぽい週刊誌」を贈ると「俗っぽい人だと思われるのは心外」なのかも?
「週刊××」、とリクエストするのは、とってもよいことですよね。「なんでも嬉しいです」とか言ってしまう人がけっこう多いので。
投稿者 編集N : 2005年05月20日 22:35